ヘミングウェイは、その著書の中でこんな言葉を残しています。
>「もしきみが幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過そうともパリはきみについてまわる。なぜならパリは移動祝祭日だからだ」
この春、道場を卒業していく門下生がいます。
彼を見送りながら、私はこの言葉を思い出していました。
道場を離れても、空手道は共にある
進学や就職、あるいは新しい挑戦のために道着を脱ぐ。それは一つの「卒業」かもしれません。
しかし、道場で学んだことは、単なる「突き」や「蹴り」の技術だけではないはずです。
「左座右起」で身につけた、日常の中の凛とした所作。
「手三里」の稽古で知った、人を傷つける痛みと癒やす優しさ。
「断じて行えば鬼神も之を避く」の精神で向き合った、自分自身の弱さ。
これらは、一度身につけてしまえば、たとえこの先どこで、どんな人生を歩もうとも、彼の中にずっと残り続けます。
空手道は、道場の中だけで完結するものではありません。
困難に直面した時の踏ん張り、相手を敬う礼節、そして自分を律する心。道場を離れた後の人生という大きな舞台でこそ、それらは真の輝きを放ちます。
いわば、空手道そのものが彼にとっての「移動祝祭日」になるのです。
幸運にも、多感な時期をこの道場で過ごした君へ。
これから先、道着を着る機会はなくなるかもしれない。けれど、君がここで手に入れた「強さ」と「しなやかさ」は、一生君についてまわります。
空手道を卒業したその足で、新しい世界へ胸を張って進んでください。
君のこれからの人生が、素晴らしい祝祭でありますように。
またいつでも、この「道場」に顔を見せに来てくださいね。



